日本人の葬送の心

相続は自分にとって、とても近い人の“死”によって生じる事が多いにも関わらず、手続きはとても機械的に行われます。
ともすれば“心”が流される事さえあります。
ここで、日本人のいにしえからの死者を悲しみ悼む“心”を思い出してみたいと思います。折口信夫訳『口訳万葉集』は素晴らしく、また分かりやすい文です。そこから触れて行きたいと思います。
(出典、新装版日本古典文庫2・3。万葉集上・下。折口信夫訳。河出書房新社)

たまづさの妹は玉かも。あしびきの清き山辺に撒けば、散りぬる

2010年08月05日 

こもまくら相枕(ま)きし子もあらばこそ、齢(よ)の老(ふ)くらくも、我惜しみせめ

2010年08月05日 

庭つ鳥鶏(かけ)の垂り尾の乱尾(みだりお)の、長き心も思ほえぬかも

2010年08月05日 

吾が夫子(せこ)を何処(いづく)行かめと、割竹(そきたけ)のそがひに寝しく、今しくやしも

2010年08月05日 

幸福(さきはひ)の如何なる人か。黒髪の白くなる迄妹が声聞く

2010年08月05日 

世の中は、誠(まこと)、二世(ふたよ)は行かざらし。過ぎにし妹に逢わなく、思へば

2010年08月05日 

秋山の紅葉あはれみ、うらぶれて、入りにし妹は、待てど来まさず

2010年08月05日 

禍言(まがごと)か妖言(およづれごと)か。隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山に、いほらせりとふ

2010年08月05日 

隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)の山に霞み立ち、たなびく雲は、妹にかもあらむ

2010年08月05日 

秋津野を人のかくれば、朝撒きし君が思ほえて、嘆きはやまず

2010年08月05日